完璧主義の裏にあった恐れの正体 私の心を前へと向かわせた言葉
いつもありがとうございます。
訪問看護ステーションまりあ看護師の丸山千春です。
前回のブログでは、入職5ヶ月目を迎えて実感している看護の楽しさと、コミュニケーションへの苦手意識についてお話ししました。
まりあで様々な経験をさせていただけるようになり、様々な方との関わりが増えていきました。
自分のコミュニケーションの癖を深く掘り下げていく中で、ハッとさせられる衝撃的な気づきがありました。
私が「穏やかな状況」に執着していた理由
私はずっと、「訪問の現場を穏やかな空気感で終わらせたい」と願ってケアにあたっていました。
一見すると、それは看護師としての美徳のように思えます。
しかし、自分の内側をさらに深く静かに見つめ直したとき、別の本音が顔を覗かせました。
私は、単に穏やかな空間が好きだったわけではなかったのです。
本当は、穏やかな状況でないことへの猛烈な不安や恐れを抱えていたのだと気づきました。
私は元来、口調が強かったり、不機嫌だったりする人がとても苦手で、怖かったのです。

昔から、自分の目の前で誰かが責められているのを聞いているだけで、まるで自分が責められているかのように胸が苦しくなり、夜も眠れないくらい気持ちが落ち込んでしまう子供でした。
だからこそ、大人になった今でも、私の潜在意識にはこう刻まれていました。
「どんな人の前でも、上手くやりたい」
「絶対に怒らせたくない、不快にさせたくない」
「上手にコミュニケーションを取れる、完璧な自分でありたい」
それなのに、実際の私はなぜかいつも器用にこなすことができない。
だからこそ、上手く立ち回れない自分に対して「能力が劣っている」「ダメな人間だ」と、自分で自分を厳しく否定して、焦っていたのです。
この潜在意識の根っこは、想像以上に深く、私の心に突き刺さっていました。
「こなせる」という言葉への違和感と、救われた一言
でも、この根深い潜在意識に気づけた今、私の中に不思議な変化が起きています。
それは、かつて憧れていた「器用にこなせる自分」という言葉に対して、どこか違和感を覚えるようになったことです。
看護やコミュニケーションって、そもそも器用にこなすものなのだろうか?と。
そんな風に自分の内側のドロドロとした恐れに向き合い、少し苦しくなっていたとき、管理者の絢美さんが以前、私に掛けてくれた言葉を思い出しました。
「千春さんはね、すごく視野が広い人だよ。だから、自分の課題に気づけたら、そこからどんどん変容していける力を持っている人だよ」
この言葉は、私にとって暗闇を照らす一筋の光のような、本当に大きなお守りとなりました。
絢美さんは、私の不器用さを責めるどころか、「気づけること自体が才能だよ」と言ってくれたのです。
「そっか、私はダメなんじゃない。伸びしろがまだまだたくさんあるってことなんだ。今こそ、目を背けてきたコミュニケーションスキルを次のステージへステップアップさせる時が来たんだな」
そう思うと、あれほど怖かった自分の課題に対して、すっと前を向く勇気が湧いてきました。
本音を言うのが怖かった私への許し
相手の想いや、たわいもない会話は「今に集中」して心地良く聞けるようになってきた一方で、一歩踏み込んだ「これからどうしていくか」という建設的な未来の話になると、途端に話が上手く進められなくなることに悩んでいました。
でも、それも捉え方を変えてみたのです。
「こういう建設的なお話をする機会を頂けるところまで、経験を積んでこられた証拠なのかもしれないな」と。
だから、もう自分のことを「ダメだ」なんて責めるのは終わりにしようと思います。
自分の心に向かって、こう声をかけてあげました。
「相手が不快な思いをしないかって、いつもビクビクと恐れを持って向き合っていたんだもん、そりゃ上手く行くわけないよね。今まで本音を言うことが、ずっとずっと怖かったんだから、しょうがないよ。頑張って守ってくれてありがとう。でもね、これからは本音の私でいくからよろしくね。」
まずは、上手くやろうとする外側のテクニックに走るのではなく、自分の怖いという感情をそのまま、もう一度丸ごと受け止めること。
そこから私の、新しいステップアップが始まろうとしています。

