私の器は「御猪口(おちょこ)」
皆様、こんにちは。
茨城県日立市の訪問看護ステーションまりあ看護師の吉澤智美です。
朝の慌ただしい時間。
「あと三分で出発しないと遅刻する!」
そんな時、どうしても決まって子どもたちをせかしてしまう私。
「なんで今になって準備してるの!」
「テレビを見る前に準備してって言ったでしょう!」
なんとか時間通りに出発しようと、私はどうしても必死になってしまうのです。

ところが、そんな私とは対照的に、旦那と長男は平然としています。
「あと三分あるじゃん。」
その一言に、私は思わず頭を抱えます。
「なんでそんなにマイペースなの!?」
この出来事を周囲に話すと、返ってくる言葉はだいたい決まっています。
「それはアンタの器が小さいだけ。」
「まだまだ修行が足りないね。」
最初は意味が分かりませんでした。
「え?遅刻しそうなんだから焦るのは当たり前じゃない?」
そう思っていたのです。
でも最近、その意味が少し分かってきました。
私は、自分の器を大きなコップだと思っていました。
でも実際は違いました。
私の器は、たぶん「御猪口」だったのです。
ほんの少し感情が入っただけで、すぐにいっぱいになる。
そして溢れた感情が、そのまま言葉になって子どもへ向かってしまう。
怒りではなく、余裕のなさが溢れていたのです。
一方で、旦那や長男の器は、きっと「どんぶり」。
同じ出来事が起きても、まだ受け止める余白がある。
だから慌てない。
だから冷静でいられる。
器の大きさとは、感情をため込む力ではなく、「心の余白」のことなのかもしれません。
私は何度も反省します。
本当は子どもが悪かったわけではありません。
私の心に余裕がなく、自分で抱えきれなくなった感情を、子どもに押しつけてしまっていただけでした。
申し訳なかったな、と毎回思います。
だからといって、明日から急に「どんぶり」にはなれません。
でも、御猪口だった器を、少し大きめの湯のみくらいには育てられるかもしれない。
そう信じています。
昨日より今日。
今日より明日。
少しずつ心の余白を増やしていく。
その積み重ねが、いつか大きな器につながるのだと思います。
皆様の器は、今どんな形をしていますか?
もし私と同じように、感情がすぐ溢れてしまうことに悩んでいる方がいたら、どうか自分を責めすぎないでください。
器は、生まれつき決まっているものではなく、人生の中で少しずつ育てていけるものなのだと、私は信じています。

