介護が始まると、家族の関係は思っているより変わっている

親子として話していたはずなのに。
夫婦として過ごしてきたはずなのに。
孫として甘えていたはずなのに。

いつの間にか、会話の中身が変わっていくことがあります。

介護が始まると、家族の関係は思っているより変わっている

ごはんは食べられたか。薬は飲めたか。転ばなかったか。痛みはないか。昨夜は眠れたか。

心配するのは、大切だからです。
ちゃんと見ていなきゃと思う。自分のことを少し後回しにしてでも、守りたいと思う。

けれど、介護が長く続くうちに寂しくなる瞬間があります。
ただ家族としてそばにいたかっただけなのに、気づけば介護する人になっていた。
もっと普通に話したいのに、出てくるのは心配の言葉ばかり。
優しくしたいのに、疲れがたまって、思っていたより強い言い方をしてしまう。
あとから、自分を責めてしまう人もいます。

でも、それは冷たいからでも、愛情が足りないからでもないと思うのです。
大切に思っている相手だからこそ、苦しくなる。
守りたい気持ちが強いほど、自分の中に余裕がなくなってしまうことがあります。

家で過ごす時間は、医療や介護の予定だけでできているわけではありません。
どんなふうに一日を過ごしたいか。
誰の声を聞いていたいか。
何を大事にしたまま、最期までいたいか。

そこには、その人が生きてきた時間があります。
支える家族の毎日も、同じようにあります。

訪問看護で関わらせていただく中で、わたしが大切にしたいのは、処置をすることだけではありません。

痛みが強くならないように見ること。
小さな体調の変化に気づくこと。
ご家族が言葉にしきれない思いを感じること。
困ったときに、ひとりで考え込まなくていい場所でいること。

介護する人と介護される人という役割だけで向き合うのではなく、もう一度、家族として一緒にいられる時間。

ベッドのそばで、何でもない話をする。
昔のことを思い出して、少し笑う。
好きだったものを、ほんの少しだけ味わう。
同じ部屋で、ただ一緒に過ごす。

特別なことをしなくても、あとから何度も思い出す時間はあります。
ご家族だけで全部を抱え込まなくていいのです。
医療のことが不安なら、相談してください。
介護の負担が重くなってきたら、頼ってください。
どうしたらいいかわからないときは、一緒に考えさせてください。

あなたが全部を背負わなくても、大切な人を大切にすることはできます。

誰かの手を借りることで、介護者として張りつめていた気持ちがゆるみ、家族としてそばにいる余白が戻ってくることがあります。

病気や介護が始まると、できなくなったことに目が向きやすくなります。
もう外には行けない。
前みたいには話せない。
普通の生活には戻れない。
そう感じる日もあると思います。

それでも、残っているものがあります。
手を握ること。
目を合わせること。
声をかけること。
同じ時間を過ごすこと。
ありがとうと伝えること。

小さく見えるかもしれませんが、その一つひとつの中に、家族として過ごす時間が残っています。

介護は、家族の愛情を試すものではありません。
誰か一人が我慢し続けるものでもありません。
病気があっても、介護があっても、その人がその人でなくなるわけではない。
家族として過ごしてきた時間まで、消えてしまうわけでもありません。
あなたが大切な人を想う気持ち。
その人が大切にしてきた人生。
一緒に過ごしてきた、何でもない日の積み重ね。
それは、介護の日々の中にもちゃんと残っています。

訪問看護は、身体を看る仕事であると同時に、その方とご家族の時間を支える仕事だと思っています。

介護する人、介護される人としてだけではなく、家族として一緒に過ごせた。
そんな時間が、ひとつでも感じられるように。
病気や介護の中でも、自分らしく生きる感覚を思い出せるように。

訪問看護ステーションまりあ
佐藤絢美

Follow me!